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東北訪問ご報告2

前回のご報告では、スタディツアーの前半だけで終わってしまいました。

今回はそのバスツアーの続きです。
「六丁目農園」を出てからもう一カ所の訪問予定である宮城県山元町にある「工房地球村
さんに向かいます。
バスに乗って向かう途中、車窓から見えた風景です。
わかりにくいですが遠くに見えているのは海岸線です。
目を凝らすと防潮林として生えていた松の木がまばらに残っているのが見えました。
手前はまるで畑か田んぼが広がっているかのようですが元は家々も建っていた場所。
そう、津波がさらってしまった後です・・・
こんな景色が続く高速道路をしばらく走ってバスは目的地の亘理郡山元町に入りました。
そして案内されたのが磯浜漁港。
この日の海はとても穏やかでした。
それだけにそこここに残る爪痕を見ると「この海が・・・」と恐ろしい気持ちになりました。
この後バスは近くにある中浜小学校へ向かいます。
海岸線に沿って走る車窓から見える風景にはほとんど建物が見えません。
そしてそこかしこには瓦礫の山。
最近やっと焼却場が出来上がってフル稼働して処分してはいますがまだまだ目処が
たっていないそうです。
そして中浜小学校へ。
真っ先に目に飛び込んで来たのは積み上げられた瓦礫となった自動車の山。
「瓦礫なんてよんでいいのかな・・・」
ポツリと誰かがつぶやいた言葉が心に残っています。
集まって説明を聞いている我々の足下にそこにいるのが当たり前のように逃げるそぶりもみせずに
ポツンとネコちゃん。
この子は一体今日まで何を見てきたのでしょうか・・・
幸いこの小学校にいたみなさんは三角屋根の下のフロアまで上がっていて助かったそうです。
当時水が迫って来た高さを表しているのがいるのが建物の横に見える青い板です。
なぎ倒された時計塔。
室内に入らせてもらいました。
子供達が毎日出入りしていた下駄箱のある玄関。
正直いうとここで亡くなった方がいらっしゃらないという事でこんな凄まじい現場に踏み入り
こんな風に写真まで撮る事が私は出来たんだと思います。
誰かが使っていた国語の教科書が落ちていました。
参加者のみんなが誰かとつるむでも無く一人で無言で見て廻っていたのが印象的でした。
2階に上がっても壁や天井まで崩れてこんな状況です。
ベランダからは穏やかな海が見えます。
子供達にとっては景色が良くて気持ちの良い自慢の学校だったのでしょうか。
そして右に視線を回して見下ろすと潰れた自動車の山々。
教室のある棟を出て隣の講堂をのぞいてみました。
時間が来て係の方に催促されてバスに戻りました。
そして車は今日の最終目的地である、ここから少し内陸に入った「工房地球村」に向かいます。
地球村は精神に障害を抱えた方々を対象にした通所の福祉施設です。
「工房地球村」HPはこちら
ちなみに同じ宮城県内でも今回のバスツアーのスタート地点でもあった仙台市は人口が
100万人以上、それに対してここ山本町は1万6千人。それでも震災で犠牲になった
方々の数はどちらも約700人とのこと。
数の問題ではないのでしょうが、中でもどれだけここ山元町の被害が大きかったのかが
想像出来ます。
途中にちらほらと見えたビニールハウスはイチゴのハウスだそうで、山元町はイチゴの栽培が
盛んで、町の主要産業だったそうです。
でもやはりそのほとんどは壊滅的な被害を受けてしまったそう。
今建っているのは震災を受け、その後そこから立ち上がり再興したり新たに事業を興された
方々のハウス。
地球村で働いていたスタッフさんの中でもご家族を失いながらもそれを乗り越えて新たな道と
してイチゴ農家としてスタートされた方がいらっしゃるそうです。
とはいえ震災前のレベルに戻るにはいったい後どのぐらいかかるのでしょう・・・
到着しました。
この後は施設の中で今回のツアーの参加者があらためてめいめいの自己紹介と、施設長の
田口さんからのご挨拶とお話がありました。
お話くださっている田口さんの様子、写真がありません。
撮り忘れたわけではありません。
じゃぁ撮るほどじゃなかったのかって?
とんでもありません!!
お奇麗で素敵な方ですよ!
なんか写真を撮る事をためらっちゃったんです。
つらい当時の色々な事、亡くなった方の一人一人のお顔を思い出しながら話す様子を
余計な事をせずにただ聞くべきだと。
なんかそんな風に思ったんです。
この地球村に通っていたメンバーはその抱える病気ゆえに避難所では周りからの理解も
なかなか得にくく相当なストレスや問題がおきているのを目にしていたので、田口さんや
スタッフさんはそのケアに走り回る事になります。
そして頼りになるスタッフの一人は被災して亡くなってしまったそう・・・
一人一人にのしかかる重圧はなおさら大きかった。
ちなみに地球村山本町社会福祉協議会という半ば公的な団体が運営する施設です。
という事で、ここ地球村のメンバーの事だけをケアすれば良かった訳ではなくて、
精神保健福祉士の田口さんは町民全体のケアを求められたという事です。
「障害者のことよりも先に・・・」みたいな言われ方もあったようです。
田口さんもスタッフさんも休み無く走り続けました。
休む間も寝る間も無いほどの激務にさらされ続けました。
「こんな時彼だったらどうしただろう・・・」なんて亡くなった頼りになるスタッフさん
の事を考えて泣きながら動き続けました。
そして疲れ果てました。
山元町は全国から見捨てられているなんて思いもあったそうです。
そんな時にテレビで取り上げられるというきっかけもあり、全国から様々な支援の手が
差し向けられはじめました。
特に佐賀からボランティアに入って下さった精神科の先生の力は大きかったようで、
メンバーさんだけで無く田口さんはじめ皆さんのケアの意味は大きかったようです。
さらに全国の精神科の先生のネットワークを使って寄付金を集めて下さり、その他たくさん
の寄付が集まりました。
そしてそれを使ってメンバーの為、地域の方の拠り所となる場所を作ろうという事でできたのが
この「カフェ・地球村」です。
田口さんはメンバーさんだけでなく、震災で家を流され、仕事も無くし、中には家族も亡く
なって仮設住宅に一人で引きこもっている方の顔を思い浮かべて場所が必要だと考えたそう
です。
すごいのは、“元の地球村を取り戻す”のではなく、“元の地球村以上の場”にしようと
考えたという事!
先ほどの引きこもりの方だけでなく、被災した様々な方と接する中で、人と人が繋がる必要性
、言い換えるともしかしたら繋がらない危険性とでもいうのでしょうか、そういったモノを
感じて外の立場ではない被災した等のご本人達が力強く立ち上がり活動する話を聞いている
と私もふつふつと興奮してきました。(外目には伝わりにくいタイプですが・・・)
今回のツアーの企画・主催の「エイブル・アート・カンパニー」さんもこのカフェの面や
震災で出来なくなったモノ作りの面から現地スタッフを常駐させて全面的な支援を行って
います。
バスボムや
特産品のイチゴを使ったジャムや手ぬぐいなどのグッズ化に側面から支援しています。
いずれ近いうちにマジェルカにもお目見えする事になると思います。
エイブル・アート・カンパニーさんのしっかりと現場に寄り添った支援とそれによった
仕事作りが今また彼らのこれからを生きる力、前に進む力になっているのを感じ、マジェルカ
も今の仕事を見つめ直すきっかけになりました。
お線香の香りがする方に行ってみるとカフェの裏手にお地蔵さんがいらっしゃいました。
田口さんや皆さんに頼りにされていた亡くなったスタッフさんにそっくりだそうです・・・
バスツアーは終わりました。
翌日は私も講師で立ったセミナーが開かれました。
その後の施設さん訪問のお話もあるのですが、またしてもスタミナが・・・
(いったいいつになったら翌週の京都のお話に!?)
マジェルカは本日1/30どうしようもない事情により臨時休業っせて頂きました。
申し訳ございませんでした。
明後日2/1(金)は定休日ではありませんが先日もお伝えさせて頂いた通りお休み
させて頂きます。
重ねて申し訳ございませんがよろしくお願いいたします。
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