資質
また口うるさいお節介ジジイのような記事をちょいと。
ところで自分はきっと将来歳とったら、子供が誤って庭に投げ込んだボールを返す時には
そして「コラッ!うるさいとはナンダーッ!」って言い握り拳をあげながら子供達を
そしてまんまと逃げて行く子供らの後ろ姿を、目を細めながら「まったく悪ガキめ…」
「ウグゥッ!」
カッとして、しかも走ったのがいけなかったのです。
胸に手を当ててその場に蹲ってしまった私。
薄れ行く意識の中でこれまで生きてきた間の様々な出来事や沢山の人の顔が走馬燈の
いったいどの位の時間が経ったのでしょう。
開いた目に眩しい光が飛び込んできました。
その光にも慣れるてくると、どうやらそれは天井の蛍光灯のよう。
体はそのままに目だけを動かしてあたりを見回すうちにおぼろげだった思考も次第に
「病院か?」
どうやら自分は病院のベッドの上にいるようです。
そして気付くと周りに人の気配、しかも一人二人では、ありません。
重く感じる体をやっとの思いで横に向けると、そこにはなんと…
はいっ!カットカット!
調子に乗りすぎました。
結末は勝手に想像して下さい。
口うるさいお節介ジジイの話じゃなくて、口うるさいお節介ジジイのような記事
昨日、とある施設さんから届いた書類、同封されていた添え状には「マジェルカへ」
果たし状ではありませんからこの場合、普通は「マジェルカ様」または
「マジェルカ藤本様」ですね。
ふと想起したのは、ある障害当事者の方がたまに送ってくれる手紙。
それもいつも「マジェルカへ」と書かれてあります。
支援する(という事になっている)立場の方と支援される(という事になっている)立場の方。
なんだかちょっぴり苦笑・・・
家で食事をしながら妻とこの話をしている中で、
されど・・・
言い訳にも程があると驚きましたがそれで終わりません。
こちらもそこそこ歴史ある社会福祉法人さん。
それも無くはないでしょうが、それだけの話ではすまないはず。
施設の方と話していると、スタッフ個人の自由(裁量)が必要以上に、あるいは間違えた形
スタッフ個々人を、マネージャーの立場にある人は管理、指導出来ているのか。と
。
そもそも、その組織としてその意思を持ち、その努力をしてるのか。とも。
ただ人がより集まっただけでは、それは“組織”ではなく単なる“場”でしかない。
組織として何かをしようと考える前に、そもそも組織の体をなしていますか?
管理はされたくないけれど組織の持つメリットは享受したい。
管理者だけれど管理したくない(出来ない)
公費で存在させられてるならなおの事。
もちろん立派な方や、立派な組織もあります。
でも関わる事自体なければ見られ方など関係ないのも事実。
外に開かれた福祉。
その為にはまず内側を見直す事が大切だと感じます。
自信なさげにうつむかず、堂々と前を向いて外に出て行って欲しいです。
本当はそれだけ社会に対して意味のある、そして価値のあるお仕事のはず。
口うるさい意見をただ俯いて苦笑いして聞くのではなく堂々と胸張って